ミラノロックダウンまでの道のり
ミラノがロックダウンになる前に、ロンバルディア州の一部が閉鎖になっていたのですが、QUARANTENA(クワランテーナ)と呼ばれる、2週間ということでした。
2月23日、ロンバルディア州の学校や映画館などのクローズ宣言
宣言前から、フライト乗り入れ禁止などなどで観光客の数は激減していたので、普段と比べてチェントロ地区(大聖堂やスフォルツェスコ城など、観光客が集まる地区)は空いていました。
写真を見ていただくとわかると思いますが、いつもは観光客でにぎわっているスフォルツェスコ城の噴水のところにカモのカップルが!
いつもは鳩なのに。
噴水の写真を撮っている観光客が写っていませんよね⁈
2月23日(日)の観光の仕事がお昼に終わったので、そのあとスーパーに寄ったのですが、なぜかやたら混んでいたんです。
そう、考えることはみな同じ。
学校クローズ宣言はこの時点ではまだでていなかったはずですが、私は感染者数増加をみて、このあとどうなるかわからないと思って、少し食料品を多めに買っておこうとスーパーに寄ったわけですが、私と同じように考えた人が多かったんでしょう。
品物は豊富にありましたが、とにかく人が多くて、レジに並ぶ列が、通常の3倍ぐらいの長さになっていました。
家に帰ってお昼ご飯を済ませて、しばらくすると私のスマホにメッセージの着音が!
日本人の友人からでしたが、なんと、スーパーがすごいことになっている、棚がからっぽだし、レジの列が半端なく、いつレジにたどり着けるかわからないと、写真つきのメッセージ。
他の友人たちからも、同じようにパスタやお米だけではなく、缶詰や冷凍食品、精肉も売り切れ状態の空の棚の写真とレジに並ぶ人たちの列の写真が送られてきました。
私はレジで少し並んだだけで済んだし、買いたいものは全部買えたからラッキーでしたが、夜のニュースでは、学校等のクローズとロンバルディア州物流は止まらないし、食料はあるから、買い占めをする必要はないと報道していました。
翌日の2月24日(月)曜日もスーパーは混雑したようですが、そのあとは食料品は通常通り購入できるし、棚が空っぽで食べ物に困る状態にはなっていません。
日本の報道では、棚が空になった映像が衝撃的に報道されたようで、日本の友人知人、親戚から心配の電話やメールがたくさん届きました。
2月26日が最後の仕事になるとは
私は在イタリア日本領事館に在留届を提出しているので、なにかあると領事館からメールが届くのですが、なぜかいつも迷惑メールに入ってる(笑)
このころから毎日のように領事館からメールが届くようになったのですが、外務省海外安全ホームページ 最新情報というものも届いていて、日本からイタリアへの渡航をおすすめしません、やめてくださいというように、危険度が引き上げられていくのをみて、観光の仕事はしばらくはないなと( ;∀;)
領事館から届いた2月23日(日)のメールは
「3月22日付首相令で,自治体間の移動についての制限が厳しくなりましたが,航空券と有効な旅券を所持してイタリアから日本にご帰国される方の空港への移動及び出国については,制限されることはありません。」
それでも仕事がどんどんキャンセルされて、結局私にとっての観光の仕事は2月26日(水)となってしまいました。
こういう状況では仕方がないことですが、私の経済状況に直結することなので、まったく焦らなかったといったらそれはうそになりますね。
3月12日から、ミラノは完全にロックダウン状態
それからは毎日ニュースをチェックしないと、なにがなんだかわからない状態に突入して、領事館から迷惑メールに入るメールも毎日チェック。
食べ物を提供するレストランに規制がはいるとは思っていませんでしたが、夜18時までの営業になったりして、夜しか開けないお店はどうするんだ?と思ったりもしましたが、一瞬ロンバルディア州は新規感染者数が落ち着いたし、経済的なこともあるからと、美術館やレストランをいままで通りの営業時間に戻しましたが、それもすぐに後戻りしました。
再クローズになってから、外出するのに後ろめたさを感じる雰囲気がものすごくあったことはありましたが、それでもソーシャルディスタンスを保って外出したり、友人の家に遊びに行ったりすることは可能でした。
実際私は、3月3日に警察に滞在許可書の受け取りのために呼ばれて警察に行ってきました。(警察から日にちと時間が指定される)
そこまでやっていても感染者数が増加するばかりだったので、ついに3月12日から、生活に必要な最低限のお店以外はすべてクロースという、ほんとうのロックダウン宣言発令。
国内移動規制や国外移動規制のロックダウンでもすごいと思っていましたが、まさかここまで来るとは、だれも想像していなかったでしょうね。